私は小さいころから生きてるのが面倒くさい人間である。
まえにも書いたけど、寝たまま目が覚めないというのが理想だ。
死にたいわけではなくて、生きるのが面倒なのだ。
ただ、だからといって楽しいことがないわけでもない。
毎日推しカプの二次創作を摂取して幸せに生きている。
ただこの面倒くさいという感情はなくならない。なんでだろう。
こういうの読むと、当てはまらないんだよなあ…
最近SNSなどでも毒親とかモラハラとか、辛い仕事は無理するなとか色々あるんだけど、短い文章でわかりやすくするために、すごく偏った意見が多い。
それだけ読んで、同意するかしないか選べというのは難しい。
例えばなんだけど、私は兄弟が多く、家庭は裕福ではなかった。
だから両親から「大学はいかなくていいし、行くとしたら国立以外は認めない」と言われていた。
家計的に無理だからだ。
私はこれに納得していたので勉強して大学に入った。奨学金も受けていた。それは私が選んだからだ。
でも最近の風潮だとまず「子どもが行きたいところに行かせられるだけの財力がない夫婦は子供を作るな、子どもがかわいそう」だという…
そうなのかな?私は親は親なりの努力をしてくれていたと思っている。人生は不平等で、与えられるものには限りがあるのだから、その限られた中で自分のやりたいことをやるならば努力は必要だと思うのだ。
例えば上記の発言をする私の親は毒親なのだろうか?
私は毒親だと思ったことはない。
ただ親から傷つけられた、と感じることはあった。
またうちにはメンヘラ兄がいて、そいつにはしこたま苛められた。親が共働きでいないのをいいことに殴られてたし、当番の家事も相当押し付けられていた。
今でこそ反省をしてそこそこ仲良くしているが、やられたことを許すことは一生ないと思う。
そしてそれに気づいていなかったのか、気づいていて放置していたのかわからないが、兄を放置している親を恨むことだって多々あった。
家族の問題は難しい。特に兄から苛められてたのはだいぶ小さなころからだったので、私は小学1年生にして自死を考えていた。
ビルの屋上から、飛んだら楽になるんじゃないか、そしたら兄は親から叱られて生き地獄を味わうんじゃないか、そんなことを考えていた。
私の生きるのが面倒くさい、という感情がこういうものが原因なのかと考えることもできるんだけど、すべてに置いて無気力になってるわけでもないし、むしろみんなこれくらいの感情はあるけれど、理性で押さえているものだと思っていたのだ。
でもそうじゃないらしい…が、私は自分が死を考えていない自分がわからないのだ、だって記憶にないんだもの。