楽して生きたい

既婚腐女子の日々徒然

作品に対する批評?批判?ってどうなの?って話。

日本語は難しい。

最近特にそう思う。

 

ここ数年、飛翔ジャンルでふらふら遊んでいる私であるが、最近いまいち推し漫画が面白くないという事態に陥っている。

正確には面白いんだけど、めちゃくちゃ面白い!だれにでもおすすめしたい!読んでー!!ってほど面白いと感じられない。

なので、SNSでも前ほど絶賛することができなくなってしまった。

 

面白いと感じる部分もあるのだけど、面白くない…というより「なんで??」って疑問を感じる部分が多すぎて話にのめり込めなくなった、というのが正しい。

特に自分が特に好きなキャラが退場しているせいで、前なら流せた部分が流せないのである。

でも基本的に周囲はその作品が好きな人だから、批判的なものは読みたくないよなあ、とあまりそういう感想は流さないのだけれど、たまに耐え切れずにこぼすこともある。

作品は好きだ、応援したい、いいものになってほしい、だからこそ流せないと感じてしまう部分がある。面白いと思っている人からするとうるさい余計なお世話だってなるだろう。そういう人はミュートして欲しい、ブロックして欲しい。

自分からしたくないなら申告してくれ、こちらからブロック解除するから。

 

とたまに思うのだ。あてつけのように「なんでそんなこと言うの」ってやられると。

好きにやらせてくれよ、と思う反面そりゃ好きなものの悪口のようなツイートみたくないよなっていうのもわかる。だから本当にこちらのことは気にせずに離れてほしい。

 

特に私の周りはどちらかというとマンセーにちかい感想を言う方が多いので、余計に私の発言はよくないのだろう。

でも面白いよね、最高だよね、と言われると同意はできないのだ。

じゃあ二次創作するなよって言われるとそうなのかなあとも思う。

作品に対して愛はある、あるからこそどうしても気になってしまう部分が私にはある。気にならない人が愛がないわけじゃない、考え方、とらえ方、漫画の楽しみ方が違うだけなのだ。

私は特に漫画を描くので、どうしても自分が描くとき「ここの設定はどうだ?ここについては誰かが発言していたな?前はこう言っていたけど、今回のこれはそれに該当しないのか?」と気になってしまうのだ。

 

これは私の二次に対する意地みたいなものだけれど、二次創作だからこそ、公式設定とされるものを無視したくないのだ。

だからこそ、公式の設定がどうなっているのか気になるし、確認したくなる。

解釈は好きでいい、でも与えられている設定を無視したくない、解釈違いではない、調べたらわかる公式の設定をないものとして考えたくない、だからこそ、公式で矛盾が起きたとき「なぜなのか、理由があるのか」を突き詰めてしまう。

しかしその疑問に対して「おかしくない?」と発言すると「なんで批判するの!」と責められる。

これは批判とか批評にあたるものなのか?批判とはなんだ?と日本語が崩壊しそうである。

 

ちょっと疲れたんだって話。

 

ところで、こんな辺鄙なブログにもなんかちょいちょい読んでくださる方がいるようだ。

ありがたいです。