楽して生きたい

既婚腐女子の日々徒然

同人やめましたの記事を読んでつらつらと

kurumi47.hatenablog.com

これね!先日SNSで流れてきました。

私は共感できる部分が多かったけど、周囲には「半々かな」「意味わからん」という人も結構いました。

仕方ないとは思うのよね。

同人するのにSNSがほぼ必須である…と思う人が多いから!

多分これが一番自分の首を絞めることになってるんだと思う。

わかりますよ?フォロワーさんが多い方が見てもらえるし、声かけてもらえることが多いし、反応もすぐにわかる。

だからどの絵が受けたのか、所謂需要があるものなのか、自分からも他人の目からもわかってしまう。

サイトの頃は拍手とかコメントもらわないとわからない、アクセス解析とかあるけれど、どの作品目当てだったのかはわからない。

だからこそ、自分の好きを基準に作品にしやすい部分はあったと思う。

作品一枚一枚に点が付くわけでも、アクセス数がわかるわけでもなかったから。

でもSNSではそれが作品ごとにわかってしまう、それが自分で辛くなるんじゃないだろうか。

どの作品も自分では一生懸命愛情込めて作ったのに、目に見えて差が出てしまうから。

それなら使わなくていいと思う。

でも最初に書いた通り同人するのにSNSがほぼ必須になっていると思うのがよくない!

そんなことは決してない。結局自分の基盤がSNSになっているからこう思ってしまうんじゃないかな?

実際イベントでは自分のSNSなんて見たことないような人が作品を見て声をかけてくれる。もちろんそれはSNSの知り合いの数と比べたらめちゃくちゃ少数だ。でもゼロではない。しかも毎回じゃないよ?年間通して数名いればいいなーってくらいの数ですよwでもサイトの頃ってそうだった気がするし、それで自分も満足していた。

確かにSNSで頻繁に作品をあげて、そのスピードも速ければファンは増えると思う。でも私にはそれはできないし、ごくたまーに立ち読みから作品を買ってくれて、次のイベントで続きを気にして寄ってくれたりする。

私もふらっとでかけては、全然知らないサークル主に「これいいですねー」と声をかけていく。

こういうのは昔と変わらない気がする。

「変わってしまった」

こう思うのは簡単だ。私だってよく思う「昔はよかった」。

懐古厨だとは思う。過ぎ去った日々はいい思い出になるんだよ。

その中でも変わらないものだってある。でも変化についていけなくて、それが辛くなるのは同人だけじゃない。生きてればそんなこといっぱい出てくる。

何度も書いているけれど、折り合いなんだよ。

自分がそれにどう折り合いをつけていくか、なんだと思う。

辛いなら辞めればいいんだよ、趣味だよ。辛くなってまでやるものじゃない。

でもやり続けたいからこそ吐き出したいことがある。

上記のブログ主も吐き出してしまいたくて吐き出した。吐き出して、そして辞めてしまった、それだけなのになぜかこれを非難する人が多い。それが理解できない。

元々上記のブログも全然知らない人が「なんかわかるな~」的な内容とともにツイートしていて知った。私はそれを読んで「なんとなくわかるなあ」と思った。「わからん」と思う人もいた。それだけなのに、なぜか炎上していたらしい。

それこそわからん!!!!!