ドン引きされるのがわかっているので、あまり口に出すことはないのだけど、日々楽しく生きているけれど、私の希望は寝たまま目を覚まさないことである。
小学生のころからなので、どうしようもないのだけれど私は「生きていくのが面倒くさい」人間なのだ。
しかし理性もある。死を選んだとき両親や夫は悲しむだろう。私自身「死にたい」わけではないのだ、ただ生きるのが「面倒くさい」だけなのだ。
高校時代にちょっとこれを漏らしたらドン引きされたので、まあ、そうだよなあとそれから口に出すことはあまりしないのだけど、これってどうすりゃいいんだろう。
たまに思うのだ。これは健全な精神とは言えないのでは?と。
しかしじゃあ実生活において支障があるか、というと特別あるわけでもない。
特別生きづらいと感じていることもないし、死にたくてたまらないから、自死を繰り返しているわけでもない。だってそれすら面倒なのだ。
ただ時々SNSなどで「常に死を考えている」というのはおかしい、みたいな意見を見ると「やはりおかしいのか?一般的にまっとうな精神状態の人は死を考えることはないのか?」と問答する羽目になる。
身近では夫がそうだ。彼は基本根明なのだ。彼は自死を考えたことない、という。それでも仕事が忙しければ鬱っぽくなり、口数も減る。しかしその状態でも彼は死にたいとは思わないらしい。
私なんて毎日の生活で「死んだら楽かな」と思ってしまうのに。
今が辛いから死にたいのではないのだ。生きるのが面倒なのだ。
日々辛くて死を考えている人からすれば、酷い意見なのだろう。
では辛くて死を考えている人は、その辛さが無くなれば考えなくなるのだろうか?
では私のように、辛くないのに死を考えてしまう人は、どうすれば考えなくなるのだろ?
ある意味贅沢病なのだろうとは思う。多分死が迫れば「生きたい!」と必死にもなるんだろうと思う。
毎日死にたいわけでもないけれど、生きたいわけでもないのだ。
こういう感覚、持っている人はどれくらいいるのだろうか…とふと気になったのであった。