楽して生きたい

既婚腐女子の日々徒然

コミケ騒動について感じたこと

 

さて、ここ数日某女優さんの件でSNSは荒れていた。

私のツイッターのTLを眺めたところ

「来てほしくはないと思うが、コミケの理念を考えると拒否はおかしい」

「来てほしくないので、このまま炎上して本人が撤回してくれるのを望む」

「来たところで反対な人はスペースに行かなければいい。過剰に騒ぐのはおかしい」

などなど、いろんな意見が出ていたが、基本的に「来てほしい」という人は少なかったように思う。

ちなみに私のフォロワーの半数以上が所謂同人活動をしている、コミケにも参加している人たちだ。

 

私がこの件を知り、彼女のツイッターと参加表明の内容を読んで感じたのは強い拒否感だった。

自分でも驚くくらい「拒否したい」「いやだ」という不快感があった。

記事を目にし、周囲のフォロワーの意見を見つつ、友人と意見を交わし、いったいなにがこんなに不愉快に感じたのか考えてみた。

 

CFページはここね

camp-fire.jp

多分私が一番だめだったのはここ

「より皆様とお近づきになりたく、この様な企画を思いつきました。

雑誌のタイトル・内容も、未だ何も決まって居ませんので、是非、皆様の意見・要望をお送り下さい。」

 

個人的には芸能人でも作りたいものがあればコミケ参加はよいと思う。

CFというのもありだと思う。

でも私は上記の文を読んで、どうしても参加して欲しくないと思ってしまった。

これはあくまで私個人の考えであるが

同人誌というのは、その内容がなんであれ、自分が表現したいもの、描き(書き)たいもの、誰かに伝えたいこと、をもったものだと思っている。

どんなにマイナーであろうが、エロいものであろうが、グロいものであろうが、誰かに伝えたい、見てもらいたい、表に出したい、表現したいという気持ちがあっての同人誌だと思っている。

だからこそ、内容がなく、みんなと決めたい、ファンに近づきたい、という理由でコミケに参加したい、というのがめちゃくちゃ不愉快に感じたのだ。

 ちなみにだからこそ、私は二次同人でたまに見かける「話がおもいつかなーい!だれかなんかネタください」的なツイートは大嫌いである。

結局友人と話をしていて、自分(と友人)の結論は

コミケ表現者に平等に開かれるべき」

ではないかとなった。

もしかしたら件の女優にもそういう信念はあったのかもしれないが、私が一番最初に目にした、上記リンクのCFページを見る限り、それを読み取ることはできなかった。

ファンと一緒に内容を決めたい、というのも立派な作りたい動機なのかもしれない。

でも私は彼女のこれを読んで「表現者」だとは思えなかった。

 

しかも最初に拒否感が出ているうえに、その後ツイッターで彼女のファンの言動をみる限りコミケなんて知りませんって人が大半で(それこそ某N歌手並にファンも同人やオタクが多い、理解ある人が多いならべつだけど)、そんなファンが大量に押しかけたらどうなるのか。

正直、撤回されて私は安堵している。

ただコミケに対してムラ社会だの、オタクが差別しただの、いらん論争が広がっただけなのがとても残念だとも思う。

でも個人的にはやっぱり受け入れる気持ちにはなれなかった。

 

 

こっからはそれ以外のこと徒然。

 

いつぞや、某少女漫画家が大量搬入、長蛇の列、サイン会をやらかして炎上したこともあった。

あの時もそれは荒れていたし、実際私はコミケで同じホールになったので、勘弁してくれよとも思っていた。

プロが描く、商業で描けないものを描く、それはありなんだろう。

私だって自分の好きな商業漫画家がコミケで趣味本だと描いてたらいそいそ買いに走るし。

でもそれならやはり、コミケにおけるマナーは知るべきなのだ。

周りのサークルに迷惑が掛からないようにする、を徹底するべきだ。

別にこれはプロだからではなく、コミケに参加する人なら誰でも知っている、周知されていることである。

例えば一般参加者の多い男性向けでは、おつりを渡す時間すら無駄だからと、本の値段をワンコインの500円に設定することが多いし、壁やシャッターサークルは、並んでいる間に500円硬貨のない人に両替してもらうためのスタッフを用意したりしているところもある。

一般参加者もくそ重たい小銭を用意し、つり銭が出ないようにしている。

よくコミケに客はいない。

サークル参加者と一般参加者がいるだけだ。

と言われる。

だからこそ、参加者でない、お客様が大量に来ることにどうしても危機感を覚えるのだ。

お客様が増えて、コミケからオタクと呼ばれる人が居なくなれば、もうそれは私が参加したいコミケではなくなるなあとしみじみ思った。