楽して生きたい

既婚腐女子の日々徒然

生理をオープンに?

nlab.itmedia.co.jp

 

まーったくもって理解できない試みであった。

 

そもそもmichi kake(ミチカケ)の利用の仕方がHPをみても、いまいちわからなかったんだけど…これ、サービスを受けにいくところではないの?

そこにスタッフが生理中であるかどうかの必要って、客が知る必要ある???

 

SNSでもさんざん言われてたけどスタッフが生理中であるかどうかの必要って、客が知る必要ある??? 

 

スタッフ同士が、急に具合が悪くなる可能性、立ちっぱなし、もしくは客にずっとつかまっていて、トイレに駆け込めない可能性、そういうのを考慮するうえで把握して、お互いにフォローしあう、というのならわかる。

生理中だって、人によって起きれないくらい痛みのある人もいれば、全然具合が悪くならず、元気な人だっている。一律に生理と申告されたところで、何を理解できるというのだ?むしろ、具合が悪い人が休める、それを自己申告するのに躊躇しなくていい、それをフォローしあえる体制を作っていくことが大事では??

 

一応任意と最初はなっていたけれど、会社からの任意って…ねえ...

 

 

 

「生理バッジへの批判は覚悟していた」 それでも大丸梅田店が店員の生理をオープンにした理由 | Forbes JAPAN(フォーブス ジャパン)

 

これ読んでもわからないなあ。オープンにする環境のなかになぜ客を入れるのか。

性の問題は大切だし、タブーな部分で無駄に隠されがちだからというなら、率先して研修なりすればいいじゃないか。社内でそういう環境づくりをしてほしい。

私自身生理痛が重くて年に1回は休んでしまうくらい寝込むことがある。

だから生理中の社員に接客されたら「え?大丈夫なの?」と無駄に相手を気遣うと思うんだ。

リラックスして買い物を楽しむためのところに、店員を心配する、という気遣いをもたなくてはならないのって、おかしくない??

別に具合が悪い人を気遣うのがおかしいというわけじゃない。あらかじめ情報を出すことで、どうしたってサービスを受ける私たちにまず負担がかかるが、本来それはサービスを提供する側が負担すべきものだと思う。

 

社会全体で取り組むというのはいい。必要なことだと思う。

しかし、サービスを受ける側としてほしい情報ではない、むしろ不必要で不愉快な情報だ。

 

社会で支えていくというのは、こういうことなのか??私の想像しているものと、少し違うなと感じた。

 

 

あとまあ、これは考えたくないけど、考えてしまうんだけど…

生理に一定数興奮する人…いるよね?

排卵日云々…生理日云々…セクハラしてくる客もいると思うのだけど、そういうサポートはどうなっているんだろ。

もちろんそういうのを想定したうえで、あらかじめ対策を講じたうえで、これを行ったんだよね?

それともこういうセクハラが増えると予想もしなかったのか、増えるかもしれないけど、見切り発車してしまったのか?

まじめに上層部の方にお話し聞いてみたいと思ったのであった。

 

それとは別にうえでも書いたけど、生理って本当に本当に個人差が大きい。

そして個人の中でも、今月は調子いい、今月はダメ、のふり幅も大きい。ピルで軽減される人もいれば利かないし、むしろ副作用が多くでる人もいる。

たまに尿と同じで我慢していれば血が出ないと思っている人もいる。(これできる人もいるんだけど、できない人のほうが多いと思う)

そして、それを逆手にとってズルをする女性がいるのも事実だし、生理用品という、生活必需品で絶対に必要なものを男性よりも多く支払う必要があるというのも事実だ。

そういう事実をきちんと正しく認識していくことが大事だと思う。

 

ただこの認識のために上記の取り組みが貢献できるのか…うーん。どうしても私はそう思えないけれど、こればかりはもしかしたらすごくプラスに働くことになるかもしれないし、未来だけはわからないし…と思うのであった。

 

でもつけろっと言われたら、私は会社辞めたいくらいいやだと思う。

別に同僚に申告するのは構わない、仕事上必要であれば体調を崩す可能性があるんだし、伝えることに抵抗はない。

ただ…そとから見た、不特定多数に発信する、というのがどうしても嫌悪感があるなと思った。

 

忍ミュ学園祭決定おめでとう!!!!

おめでとう!やったー!!また会える!幸せすぎる!!!!!

 

とにかくそれしか言えない、ありがとうございます。

色々しんどいこともあるけど頑張れます。

笑顔で頑張れます。

 

最近趣味なのにストレスためてしまう出来事が多かったので、ただただ純粋に楽しみで待てることがうれしすぎて幸せすぎる。

お花…頑張って送ってみようかなあ。

 

 

昨日にニコ生、最高でしたね。

そして案の定和貴くん泣いちゃった。

涙もろいの変わらないねえ。いや、小平太が泣きそうになってる時点で、だいぶやばそうな顔してたのをこらえてたのはわかっていたんだけどww

4弾でのあきこへがしょっぱなのOPで涙ぐんでてみんなから「お前ふざけんなよ!!!」ってなってたあれを思い出したわw

 

初演がね、愛知公演が本当に大変で…得点DVDにあった「みんな揃って笑顔で」っていうのが達成できてなかったから。昨日は思うこともいっぱいあったんだろうなあ。

でもまだ尼崎あるしね!さすがに財布が厳しくて行けないのが残念です。でも今回突発でチケット増やしてるし、もうこれ以上は無理だしかたない。

 

その代わり学園祭頑張ろう。

全通は厳しいかもだけど行きたいよう。はぁぁぁ…

 

 

そして、ここを見てらっしゃるかわからないけれど、その昔コメントしてくださった某方!

見ましたか!?秋沢くん、本当に本当にいい留三郎をまた演じてくれましたね。

私は忍ミュファンとして今回の公演を見ることができて本当に幸せだと感じましたよ!!

あなたも同じように幸せを感じていたらいいな

忍ミュ10弾再演 感想!

最高だった!!!!!!!

 

初演のときも大好きだと思ったけど、10弾は個人的に今までで一番好みでした。

シリアスとギャグ部分のバランスがちょうどよくて、観ているときのストレスが全くなかった。

どの舞台でも、わりとギャグパートが合わなくて疲れることが多いのだけど、今回はそれが一切なくて!!

ありがたかったなあ。

和貴くん、かっこよかった。あと正直4弾と比べたら歌、うまくなったねええ!!!

聞いててすごくよかった。Gロッソはあんまり音響よくなくて、時々セリフが聞こえにくい方がいたんだけど、今回そういうのがなくて、みんな本当に頑張ってくれたんだなあと…

この感想何目線だ?上から目線みたいだな、すみません。

 

あと個人的に忍ミュ見に行くたびに思うんだけど、私はやっぱり留三郎が好きなんだよ。

 

ここでも書いたけど、本当にこの二人でまた帰ってきてくれて、そしてこのときにいった「ただいま戻りましたー!」っていうのがね。

前の文次郎が最後だった時に

「卒業ってよく言われるけど、卒業じゃないよ、ちょっと遠くにいくだけだよ」

って言ってくれてたけれど、なんかそれを裏付けるようにこうして帰ってきてくれて、そして本人たちがそう言ってくれるのは本当にうれしくて幸せなことだなあ。

 

特に留三郎役の秋沢くんは、最初に加入したときが本当に大変なときだったから、めちゃくちゃしんどかっただろうし。

その時の公演DVDのおまけみても、めちゃくちゃ緊張してるし、マイク向けられたらすごく困って逃げそうになるしでww

見てる側としてはとても楽しいおまけだったけれど、本人はとても大変だったんだろうと想像がつくものだったから。

今回初演のDVD買って特典みたけど、前と違ってすっごく堂々としてて。

完全に保護者みたいな視点になって失礼だけど、頑張ってくれてうれしいなーという気持ちでいっぱいです。

演技もすっごくよかったし。伊作と言い合い(?)になるシーンのところ、すっごく好きだ。

あとあのシーン、個人的には一年生二人と守一郎がすっごくいいんだよね。

 

今回初演も含めて、個人的に演技が好きなのが守一郎!

演技というか、あれは脚本・演出の上手さでもあるのかな。

役どころがすっごくよかった。

 

脚本がとにかく全般的に好みだったんだよね。

上級生と下級生のやりとり。

特に留三郎がね、毎回ちゃんとしんべヱが階段降りるの待ってたり、何かするときはちゃんと守一郎としんべヱの前にすっと出てくるの。

危ないときは体でかばうし。

そういう細かいシーンが今回とにかく多くて、それがすっごく好きだった。

 

とまあ…3回ほど行ったんですけどね、あの、どうしてもひいきとして文次郎留三郎中心に見ちゃうので、一緒に舞台上にいる他の委員会になかなか目が追い付かなくて…

日曜のニコ生で頑張ろう。

昼は定点で見てみるかなあ…うーん。

というわけで、ここで宣伝したところで効果はないけど、興味がわいた方はぜひ!!!!!

本当に本当に面白くて

見終わってニコニコ笑顔になれす作品です。

本当に生で見ることができて、この役者さんでこの舞台を作っていただけて幸せだなと思いました。

最後まで役者さんスタッフさんが元気で走り抜けられるよう祈っております。

 

そして願わくば…このメンツでの学園祭がありますように。

可能ならば11弾もまたありますように。

 

普通の感覚

某コラボの関係で色々と興味深いツイートをたくさんみる。

 

普通って難しいよね…自分は普通だと思っていたのに違った!というのはある程度歳を重ねれば直面することだと思うのですが、今回のは治安関係で、危機意識の温度差というのは自分の身を守る上で非常に大事なことだと思うので、流れてきたものを真面目に読んでいる。

 

大阪、正直私はあまりピンとこない場所であり、治安がいいとか悪いとか数年前まで考えたこともなかった。

しかし数年前、友人たちと集まるということで私はホテルを取った。ちょうど金のない時期だったのでできるだけ安く抑えたい…しかし流石に5千円切るところは危ない気配がしている。ので、6千円だったか7千円くらいの、新今宮駅の前のホテルにしたと思う。

 

「宿とったよね?どこ?飲む場所ある程度ちかくにしようか」そんな友人に場所を伝えたところ怒られた。

 

友人も「昔ほど危なくない、駅前なら大丈夫だとは思う。でも万が一何かに巻き込まれたときの危険度が高すぎる。日中ならともかく、酒の入った状態の女性一人をそこに返すというのは私の中では無理なので、最悪私も泊まるからツインでホテルを探そう?」

 

地元の友人がわざわざ金を払ってでも私をそこに泊めたくない、と主張することに、自分のなかの「危ない」と彼女のいう「危ない」のレベルが違うことに気が付いたし、そこまでヤバイと感じる場所がある、ということにも驚いた。

 

そこで初めて、いわゆるあいりん地区などのことも知ったのである。もう40年ちかく生きているけれど、近寄ったこともなければ興味もなかったことなので、私の中にはそんな場所がある、ということすら認識されていなかった。

 

友人に聞いて初めて興味をもち調べたけど…「こんな場所あるんだな」という感想であった。

あと他にも危ないと言われる場所に泊まったことがあるのだが、確かにホテルまで5分?10分かからない場所であったが、ラブホと飲み屋街であり、女の子が一人で歩くのはちょっと怖い場所だなあと思った記憶はある。

私はもともと居酒屋で働いていたし、お水の友達も多くて地元の飲み屋街も平気だし、働いていた場所と同じビルにやくざさんがいたこともある。

そういうのもあって、所謂安全な場所しか知らない、というわけではないし、それなりに「あ、このへんは近寄らんどこ。さっさと抜けちゃおう」っていうスキルはあると思う。

 

でもこのスキルは、そういう場所があると知っているからこそ培われるスキルであって、知らない人には無理なのだ。

twitter.com

わかりやすいのはこれかなーって思いました。

普段から目にするものでこれだけ差が出る。

そして「危ないから近づかない」を普通に行っている人は「倒れてる!心配だ」と近寄った人に対して「自衛能力が低い」と感じると思うのです。

これ、どっちがいい悪いじゃないよね、実際具合悪くて倒れててそれで助かった人はとても感謝するだろうし、スルーして亡くなった人がいたら、とても後味が悪いだろうと思う。

でも正解はないわけで。だからこそ色々と自分で考えなければならないけれど、所謂治安のよいところの人の想定する危険度というのは、限界がある。

過剰に誇張するのはよくないとは思うけれど、過剰にしなければ伝わらないことだってあるのも事実だ。

 

特に今回のジャンルは若い子が多いし、最近のグッズ展開をみると徹夜して並ぼうとする子も多いだろう。

そういう子に対して、過剰気味に自衛を求める声があがるのも仕方のないことじゃないかなと思う。

 

 

でも結局何かあったとしても、今の世の中「自衛力が足りない」で済まされてしまうのが一番こわいとも思うのだけれどね。

最近のこと

このところ色々ありすぎて書きたいことはたくさんあったけれどかけずにいました。

 

一つはこれ

togetter.com

 

もとのnoteは削除されてしまっていたので読んだ人の反応を書いてリンクしておきます。

 

おもしろかったけれど、とても思い当ることも多い文章でした。

 

自分でも自覚があるのですが、ここ数年いろんなことに対してとても鈍感になっている自分がいます。反面、ごく一部に対してはすごく過敏でもある。

なぜなのかなと考えていたけれど、上記の怪物になるわたしへを読んだときに、少しわかったような気がしました。

 

ここ数年、スマホSNS等の発達で私たちは10年前と比べるとものすごくたくさんの情報にさらされることになりました。

毎日の生活で日常的に行うことで、大量の情報の取捨選択を迫られています。

そこには自分にとって不必要であるものも多いし、必要だけれど不愉快に感じるものも多い。私はインターネットというのは自分が楽しむ場だと思って利用しているので、基本的に不愉快な出来事からは距離をとるしみないようにしています。ただ最近は、所謂ヲチ目線になっていることも多かったり、逆に心地よい場所以外に対する拒否反応が強かったり、だいぶバランスが悪くなっているように感じます。

 

 

前に少し書いたこととも通じるのかな。

心地よい居場所だけを作る人生というのも決して悪いわけではない。

けれどそれだけで生きていくというのも難しいことなのだ。私自身、一人でいる時間は好きだけれど、それはあくまで「社会の中の私」が存在するからこそ大事にできる時間だと思うのです。

なので、社会の中の私 が社会に迷惑をかけるようになり、社会の中で生きていけなくなっては困る。

最近の「やりたくないことはやらなくていい」を過大解釈するのはよくないなあと反省。

理不尽なことに身を晒し続けろというわけではないけれど、嫌だけれどやらなくてはならないこと、ときには無茶かもしれないけれど、やらなくてはならないこと、というのは絶対にある。

それらをすべて排斥する、もしくは排斥してもらえるよう周囲をコントロールするような動きはしたくないなあと思いました。

 

長生きしてしまったときのことを考えると、社会の中の私 というのは大事に育てないといけないなあとアラフォーにして改めて思いました。

 

 

忙しくしていたのはゲームのせいです。

 

jp.finalfantasyxiv.com

 

楽しみにしていたff14.死ぬほど面白くて、文句なしにここ10年で一番楽しめました。

オンラインゲームなので、敷居は高いけれどこんなに楽しませてくれるなんて幸せすぎます。これが月額千円ちょっととか、実質無料では?と思いますね。

長く続く、オンラインゲームだからこそできた、という作りになっていますので、興味をもたれた方はぜひとものんびり最初からやって欲しいです。

夏コミ原稿も無事終わったので、もう少ししたらサブキャラで全部やり直そうって思ってます。

それくらい面白かった!本当に面白かった。開発陣本当にありがとう。素晴らしいゲームでした。

オケコンがとても楽しみです。

 

忍ミュみてきました!!!

ミュージカル『忍たま乱太郎』第10弾~これぞ忍者の大運動会だ!~

 

を観劇してきました。

いやもう、本当に、本当に最高だった。今までのシリーズのなかで一番好きだったかもしれない。

 

今回何よりもうれしかったのが和貴くんが帰ってきたことだ。

 

rakusiteikitai.hatenablog.com

 こちらでも書いた方です。

 

私が舞台という沼におっこちたきっかけになった役者さんです。

もうあれから何年も経ってしまったんだなあとちょっと懐かしい。

ここ数年忍ミュ以外の舞台にほとんどいけてないので、申し訳ない気持ちでいっぱいではあるんだけど、それでも和貴くんの文次郎をまた見ることができたのが本当に幸せであった。

個人的に4弾は大好きなんだけれど、5弾のシナリオが好みではなかったのでね。5弾再演は和貴くんを堪能するという面ではよかったけど、舞台を楽しむという面ではいまいちだったんだ。でも一番通った舞台だったから(おそらく和貴文次郎がラストだと思ったので)

だったから、また帰ってきてくれて、しかも文次郎役というのが本当に本当にうれしくて。やっぱりフラスタ勇気を出して送ればよかった。

 

ただ今回はね、急病がでてしまって。それが本当に気の毒だった。

でも愛知の演出、本当に素晴らしくて。みんな、あれだけ演出変わるの大変だっただろうに、すごかったね。

 

「通すと思ったかバカタレが!」って出てきた文次郎が死ぬほどかっこよくて、鳥肌たってしまった。

他の役者さんの演技も本当に素晴らしくて。

再演、できるなら全員続投して欲しいなあ。せめて6年生は変わらないでほしい。もう一度あの面子でみたい。

 

とりあえず中身に触れない感想でした。

幸せだった、元気もらった。また頑張ろう。

生きるのが面倒くさい…毒親とかそういうのを添えて

私は小さいころから生きてるのが面倒くさい人間である。

まえにも書いたけど、寝たまま目が覚めないというのが理想だ。

死にたいわけではなくて、生きるのが面倒なのだ。

ただ、だからといって楽しいことがないわけでもない。

毎日推しカプの二次創作を摂取して幸せに生きている。

ただこの面倒くさいという感情はなくならない。なんでだろう。

 

utsucheck.cocooru.com

 

こういうの読むと、当てはまらないんだよなあ…

 

最近SNSなどでも毒親とかモラハラとか、辛い仕事は無理するなとか色々あるんだけど、短い文章でわかりやすくするために、すごく偏った意見が多い。

それだけ読んで、同意するかしないか選べというのは難しい。

 

例えばなんだけど、私は兄弟が多く、家庭は裕福ではなかった。

だから両親から「大学はいかなくていいし、行くとしたら国立以外は認めない」と言われていた。

家計的に無理だからだ。

私はこれに納得していたので勉強して大学に入った。奨学金も受けていた。それは私が選んだからだ。

でも最近の風潮だとまず「子どもが行きたいところに行かせられるだけの財力がない夫婦は子供を作るな、子どもがかわいそう」だという…

 

そうなのかな?私は親は親なりの努力をしてくれていたと思っている。人生は不平等で、与えられるものには限りがあるのだから、その限られた中で自分のやりたいことをやるならば努力は必要だと思うのだ。

 

例えば上記の発言をする私の親は毒親なのだろうか?

私は毒親だと思ったことはない。

 

ただ親から傷つけられた、と感じることはあった。

またうちにはメンヘラ兄がいて、そいつにはしこたま苛められた。親が共働きでいないのをいいことに殴られてたし、当番の家事も相当押し付けられていた。

今でこそ反省をしてそこそこ仲良くしているが、やられたことを許すことは一生ないと思う。

そしてそれに気づいていなかったのか、気づいていて放置していたのかわからないが、兄を放置している親を恨むことだって多々あった。

 

家族の問題は難しい。特に兄から苛められてたのはだいぶ小さなころからだったので、私は小学1年生にして自死を考えていた。

ビルの屋上から、飛んだら楽になるんじゃないか、そしたら兄は親から叱られて生き地獄を味わうんじゃないか、そんなことを考えていた。

 

私の生きるのが面倒くさい、という感情がこういうものが原因なのかと考えることもできるんだけど、すべてに置いて無気力になってるわけでもないし、むしろみんなこれくらいの感情はあるけれど、理性で押さえているものだと思っていたのだ。

 

でもそうじゃないらしい…が、私は自分が死を考えていない自分がわからないのだ、だって記憶にないんだもの。